この記事では、「面倒を見る」と「世話をする」の違いを分かりやすく説明していきます。
「面倒を見る」とは?
「面倒を見る」とは、「他人のことを気にして目を掛ける」さまや「人の問題などを一緒に解決してあげる」様子などを示す言葉です。
「他の人のために自らの力を貸す」あるいは「支援や力添えをする」などという意味合いで使われており、「手助けをする」ないし「尽力する」などという語と似たような意味をもつ表現として使用されています。
「世話をする」とは?
「世話をする」とは、「人や動物などと一緒に過ごしながら育てる」さまや「身の回りのことを手伝ってあげる」様子などを表す言葉です。
「自分の近くでご飯を食べさせたりさまざまなことを手伝う」などというニュアンスで用いられており、「世話を焼く」または「ケアする」などという語と同じような意味で使われる文言です。
「面倒を見る」と「世話をする」の違い
「面倒を見る」と「世話をする」の違いを、分かりやすく解説します。
「面倒を見る」と「世話をする」は、どちらの語句も「他者のために尽力する」などという意味をもつ似たような表現として使われています。
異なる点を挙げるならば、「面倒を見る」は、自分よりも立場や身分などが上の相手には使えない表現ですが、一方「世話をする」はどんな相手にも使うことができる言い回しとして用いられています。
面倒や世話をする対象が自分と同格であれば「面倒を見る」を使い、自分よりも格が上の相手に使う際には「世話をする」を使う方がよいでしょう。
「面倒を見る」の例文
・『両親の面倒を見るのは子供たちの務めです』
・『面倒を見るということは、責任をもって接するということに他なりません』
「世話をする」の例文
・『旅行中はペットの世話をすることができないので知人に預かってもらいます』
・『患者さんを世話するのが看護師の役目です』
まとめ
「面倒を見る」と「世話をする」は、いずれの語句も「相手の身の回りのことを手伝う」などという意味をもつ似たような表現です。
使われる相手が少々異なる以外には違いはほとんどありませんので、使用する際には微妙なニュアンスの差に気を付けて使うようにしましょう。