この記事では、「有田焼」と「伊万里焼」の違いを分かりやすく説明していきます。
「有田焼」とは?
佐賀県の有田町を中心に焼かれている磁器のことをいいます。
有田で磁器の生産が始まったのは17世紀の初頭で、豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った際に朝鮮から陶工を連れてきたのです。
その1人である李参平が、有田で白磁鉱を発見して窯を開き白磁を焼いたのが始まりとされます。
その後、色絵の磁器なども作られるようになり、その技術は独自に進化していきました。
昔は、伊万里に積出港があったので、有田焼ではなく伊万里と呼ばれていたようです。
有田焼として区別されるようになったのは明治時代で、江戸時代に焼かれたものは古伊万里という名前で呼ばれています。
「伊万里焼」とは?
佐賀県の伊万里市で焼かれている磁器のことをいいます。
昔は伊万里焼というと、伊万里にある港から積み出される焼き物全部を指していました。
有田で焼かれたものや佐世保市で生産されていた三川内焼、波佐見町で生産されていた波佐見焼なども全て伊万里焼きと呼ばれていたのです。
昔は輸送は船で行われていました。
明治時代に入り鉄道で輸送するようになったため、積出港ではなく山地の名前で呼ばれるようになります。
昔の伊万里焼は古伊万里と呼ばれ、海外でもオールド・イマリとして人気があります。
「有田焼」と「伊万里焼」の違い
有田焼は佐賀県有田町を中心に焼かれている磁器で、伊万里焼は佐賀県伊万里市で焼かれている磁器です。
ただし、昔は有田で焼かれていた磁器も伊万里焼きと呼ばれていました。
江戸時代に有田で焼かれた磁器は、古伊万里と呼ばれています。
そのため有田焼というと、明治以降に有田で焼かれたのものを指します。
まとめ
有田焼と伊万里焼の違いは、生産している地域にあります。
佐賀県の有田町を中心に焼かれているのが有田焼で、佐賀県の伊万里市を中心に焼かれているのが伊万里焼です。