「樋口宗孝」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「樋口宗孝」の死に際とは? 歴史上の人物

ヘヴィメタルバンドのラウドネスやロックバンドのレイジーなどで活躍したドラマーの樋口宗孝は49歳という若さで亡くなっています。

今回は日本を代表するほどのドラム奏者だった彼の死因に迫ります。

「樋口宗孝」とは?簡単に説明

昭和33年に奈良県奈良市で生まれた樋口宗孝は、ミュージシャンや音楽プロデューサーとして知られる人物で、様々なバンドのドラマーとして活躍していました。

ヘヴィメタルバンドのラウドネスを率いて、全米のビルボードTOP100に選出されるほどのヒットを記録し、名実共に日本を代表するミュージシャンに上り詰めた樋口は、その後一旦バンドを脱退するものの、6年という月日を経て、同バンドに電撃復帰を果たします。

しかしながら、平成20年に肝細胞がんに侵されていることが発覚した樋口は、そのまま闘病生活を送ることを余儀なくされてしまい、8か月間にわたる療養生活の後に大阪市の病院にて49歳で死去しています。

「樋口宗孝」の死に様

平成20年11月30日、樋口宗孝は肝細胞がんにより49歳で他界しています。

亡くなる年の3月に受診した人間ドックで肝臓に異常が見つかり、その後受けた精密検査の結果、末期の肝細胞がんに罹患していることが発覚した樋口は、すぐに音楽活動を休止して、抗がん剤治療を開始しています。

また、この時期肝臓を半分以上摘出する手術を受け、その後2回目の抗がん剤治療を受けた樋口の容態は少しずつ回復の兆しを見せ、一旦は退院しています。

しかしながら、3回目の抗がん剤治療のために、再度入院した樋口は、2か月後には容態が急変して死亡しています。

「樋口宗孝」の死に様の信憑性

数多くのファンや関係者たちの前に再び立ち、大観衆の前でドラムを演奏することを信じて、闘い続けていた樋口宗孝は、自宅での闘病中に嘔吐して倒れているところを家族に発見され、すぐに病院へ搬送されますが、そのまま意識は回復することはなく、大阪市の病院にて死去しています。

亡くなる一か月ほど前には、公式ホームページにて「精神力と体力をもって、引き続きこの大病と闘っていくしだいです」というメッセージを発信していた樋口でしたが、がんに侵されていることが分かってからわずか8か月で死亡しています。

「樋口宗孝」の小ネタ等

当時全米において、ドラム演奏の類まれなる才能を認められていた樋口宗孝は、アメリカで有名なドラムヘッドメーカー「アクエリアン」と、スティックメーカー「イーストンアヘッド」社から、自身を冠した、樋口宗孝モデルのヘッドセットとスティックがそれぞれ発売されています。

まとめ

日本の音楽界において、稀有な実力をもつドラム奏者だった樋口宗孝は肝細胞がんにより49歳で永眠しています。

世界中で認められた彼の華麗なドラムスティック捌きと、そこから奏でる鮮やかな音色は、現在の音楽シーンにおいても光輝いています。

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