「石原裕次郎」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「石原裕次郎」の死に際とは? 歴史上の人物

「石原裕次郎(いしはらゆうじろう)」とは?

石原裕次郎の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「石原裕次郎」とは?簡単に説明

石原裕次郎さんのお兄さんは作家で元東京都知事の石原慎太郎さんです。

その石原慎太郎さんの芥川賞受賞作『太陽の季節』で石原祐次郎さんは映画デビューしています。

その後も映画『狂った果実』『嵐を呼ぶ男』など多数の作品に出演します。

1963年には石原プロモーションを設立し、映画製作にもかかわって行きますが、やがて映画は斜陽産業となり事務所の経営が悪化するとテレビドラマへの出演を開始します。

こちらでも『太陽にほえろ!』や『大都会シリーズ』『西部警察シリーズ』など次々と高視聴率ドラマを手がけていきました。

「石原裕次郎」の晩年

石原裕次郎さんは若い頃から病気や事故による怪我が多く、入院や手術を繰り返していました。

さらに晩年はまさに病魔との闘いの連続で満身創痍になっていました。

1978年には舌下潰瘍のために入院・手術後、舌癌との診断を受けるも本人には告知されず、1981年には『西部警察』のロケ撮影中に背中と胸の激しい痛みを訴え、慶應義塾大学病院に入院。

解離性大動脈瘤と診断されて生還率3%の大手術を決行し、奇跡的な生還を遂げます。

病院から無事生還した姿を見せる石原祐次郎の映像は特集番組などでよくテレビでも流されていますので記憶されている方も多いと思います。

その後も舌癌の再発、肝臓癌が発覚、肝細胞癌(肝癌)の診断、肝内胆管炎の併発など息つく間もない病魔に苦しめられます。

「石原裕次郎」の死に様

ハワイで静養していた石原祐次郎さんは1987年4月20日、体調不良でハワイから緊急帰国し、慶應義塾大学病院に検査入院します。

5月2日にいったん退院したものの、その3日後に再入院となります。

激しい高熱で容体が急変し、肝性脳症の幻覚症状に苦悶しつつ肝細胞癌による多臓器不全に陥って意識不明のまま、7月17日15時43分に医師が臨終を告げます。

その7分後に心拍停止するも、酸素吸入で心拍が再開しますが16時26分に再度心拍停止し亡くなります。

52歳(享年53)でした。

死因は肝臓癌でした。

「石原裕次郎」の死に様の信憑性

石原裕次郎さんの死に様につきましては病院での死去によるものであり、詳しい状況も伝わっていることから信憑性は高いと思われます。

ただし、大スターゆえの噂話が物凄く、真相不明ということになっていることが多々あります。

その一部を紹介すると、死因は肝臓癌となっていますが、肝臓癌になった経緯・原因がはっきりしていません。

石原裕次郎さんは食道静脈瘤という病気を患っていたそうで、これはC型肝炎に感染することで肝硬変や肝臓癌にもなるらしいですが、この食道静脈瘤と肝臓癌との因果関係は不明です。

また、石原裕次郎さんは女遊びが盛んで日々酒を飲み歩いていたとのことで、大酒による肝臓癌の発症との噂もあります。

これも確かなことは分かりませんが、これはある程度納得ができる理由ではあります。

ただ、女遊びによる梅毒の罹患、また松田聖子さんとの不倫による梅毒の罹患説というのもまことしやかに囁かれている噂です。

さらにこの女遊び原因説がエスカレートして腹上死説まであるのには驚きです。

まとめ

昭和を代表する大スターの石原裕次郎さんの52歳という早すぎる死はとても残念です。

昭和の終焉を印象づけた死であり、一つの時代が終わったという感が強かった逝去でしたが、長かった闘病生活での姿には頭が下がります。

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