この記事では、「白々しい」と「空々しい」の違いを分かりやすく説明していきます。
「白々しい」とは?
「白々しい」は、はっきりと嘘だとわかることで、白を切ると同じで知らないと嘘を述べることです。
なので、「白々しい態度」とは、白を切っているのですが、嘘だという部分が透けて見えるが故、嘘であるとはっきりとわかる態度や言動のことを指します。
「空々しい」とは?
「空々しい」は、中身がない空虚という意味です。
よって、嘘だということよりも中身がない話であるというのが「空々しい」になり、嘘のことも空虚なのでうそをつくことの意味を持ち合わせるようになりました。
ですが、元々は、「空々しい」は、中身がない空虚であることのみを述べていましたが、時代が進むにつれ、「白々しい」の意味も持ち合わせたのです。
「白々しい」と「空々しい」の違い
両者の違いは、嘘であるという点と、中身がない話であるという点です。
「白々しい」が白を切ると同じで嘘だという点に対して、「空々しい」は、中身がないが故悲しいことやむなしいという意味になります。
ただ、現在においては、「白々しい」と「空々しい」は同じ嘘をつくこととするのもよいでしょう。
「白々しい」の例文
・『彼女の白々しい態度に嫌気がさす』
この例は、彼女が平然と嘘をつく態度について嫌になったという例です。
「白々しい」は、平然と嘘をつくことをやってのけることで真実を述べても知らないと言ってのけるのが「白々しい」になります。
よって、彼氏はおそらく、真実を知っていてそれでも彼女が嘘をつくが故、いやになったと推測します。
「空々しい」の例文
・『部長の話は実に空々しい』
この例は、部長の話は実に中身が無くて悲しいというものです。
中身がないお話を部下となる人物が聞かされていて悲しくなっている様子がこの例です。
しかし、部長は自分より偉い立場なので話を聞くほかないが故、この例においては嫌々話を聞いていると解釈してもよいでしょう。
まとめ
「白々しい」は、白を切るという言葉があるように嘘を押し通すことです。
なので、嘘で押し通すだけの実力があれば、嘘だということがバレず、「白々しい」とはならないのですが、この言葉を使用しているということは、嘘がバレており、看破されて真実に気が付いているが故、「白々しい」と言われているのです。
「空々しい」は、中身がない空虚であることで、これは言ってしまえば、中身がないお話だと理解すればわかりやすいでしょう。
たとえば、「部長のお話は空々しい」であれば、部長の話は中身がないと言っているのですが、面と向かって言うことはできないので心の中で思っていると解釈すればわかりやすく、「白々しい」については口にして述べるが故嘘だと周囲に公言すると考えるとよいでしょう。
逆に嘘であるということについては、上司であれ、部下であれ公言して述べることができるが故「白々しい」はたとえ相手が社長であっても嘘だと言い切ることが可能で「空々しい」は、話の中身がないというあやふやな断言なので嘘だという断言と比較した場合インパクトが弱いので心の中で思うのが、「空々しい」であると認識するのもよいでしょう。