この記事では、「大宰府」と「防人」の違いを分かりやすく説明していきます。
「大宰府」と「防人」という2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。
「大宰府」とは?
「大宰府」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「大宰府」は「だざいふ」と読みます。
「大宰府」は「7世紀後半に、九州地方の筑前国に設置された地方行政機関のこと」という意味があります。
「大宰府」は、軍事や外交を主な任務としていましたが、九州地方の内政も担当していました。
「筑前国(ちくぜんのくに)」は、現在の福岡県にあたります。
筑前国は、朝鮮や中国に近い場所にある、大きな都市だったため、攻撃されたときの防御のため、また諸外国と外交をするために「大宰府」という拠点が作られました。
歴史的には、『太宰府天満宮』で知られる、菅原道真が、平安時代に左遷された場所として有名です。
「大宰府」の管轄下には、「防人」を統括する「防人司」があり、国境の防備を担っていました。
外交面では、中国の王朝や、朝鮮半島の王朝などから使節団が来た時、接待をするための迎賓館である「鴻臚館(こうろかん)」が用意されていました。
「防人」とは?
「防人」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「防人」は「さきもり」と読みます。
「防人」は、「古代中国や、日本において、律令制度下で行われた軍事制度のこと」という意味があります。
日本においては646年の大化の改新において、孝徳天皇が改新の詔で示した制度の一つになります。
663年に、「白村江の戦い」で、唐と新羅の連合軍に大敗すると、唐が攻めてくることを恐れ、九州沿岸を防備するため、「防人」が設置されました。
辺境防備をするのが「防人」の役割で、任期は3年で、諸国の軍団から派遣されていました。
「大宰府」が「防人」の指揮にあたり、壱岐や対馬、筑紫などに配備されています。
ただし、「防人」として徴兵されるのは農民が大半で、「防人」をしている時期に税が免税されるわけではなく、重い負担に士気は低かったと言われています。
「大宰府」と「防人」の違い
「大宰府」と「防人」の違いを、分かりやすく解説します。
「大宰府」は「7世紀後半に、九州地方の筑前国に設置された地方行政機関のこと」という意味があります。
一方で「防人」は、「古代中国や、日本において、律令制度下で行われた軍事制度のこと」という意味があります。
このように、筑前国に設置された地方行政機関が「大宰府」で、律令制度下の軍事制度のことを「防人」と呼ぶという違いがあります。
また、「防人」の指揮を行うのが「大宰府」で、「大宰府」の管轄下に「防人」があると言い換えることもできます。
まとめ
「大宰府」と「防人」の違いについて見てきました。
2つの言葉には明確な意味の違いがありました。
2つの言葉の意味の違いを知ることで、混同せずに使い分けることができるようになりそうです。