最期までロッカーとしての生き方を貫いた忌野清志郎の晩年と散り際とは?
この記事では忌野清志郎の晩年と最期に迫ります。
「忌野清志郎」とは?簡単に説明
1968年にバンド「RCサクセション」を結成。
独特の声質と歌い方に加え、歌詞の言い回しやフレーズ、さらには衣装や髪型など全ての面で異彩を放っていたのが忌野清志郎です。
坂本龍一とのユニットで発表した「い・け・な・いルージュマジック」や謎の覆面バンドTHE TIMERSとしてリリースした「デイ・ドリーム・ビリーバー」、毎年父の日前後に耳にする「パパの歌 」などは彼を知らない世代にも知られています。
「忌野清志郎」の晩年
2006年に名誉市民にもなっているアメリカテネシー州のメンフィスでレコーディングを終え帰国。
しかし帰国からほどなくして、公式サイトにて喉頭癌で入院することと音楽活動を休止することを発表します。
年内は完全休養をしたものの翌07年1月に石田長生のライブにサプライズゲストとして登場し、徐々に活動を再開していきました。
2008年2月10日には完全復活祭と称して、日本武道館でコンサートを行いますが、半年も経たないうちに再び病魔に身体を蝕まれてしまうのでした。
「忌野清志郎」の死に様
08年の7月に左腸骨に癌が転移したことが公表。
ライブ活動は休止するも音楽活動は続けていきました。
翌09年の2月には大阪を拠点とするFM802のキャンペーンソング「Oh! RADIO」を完成させますが、骨にまで転移していた癌により、全ての活動をキャンセル。
入院して治療に専念します。
入院中にはデビュー39周年を記念したイラストを忌野日報にて報告しましたが、これがファンに向けた遺作となってしまいました。
2009年5月1日午後に容態が急変し、日付が変わった2日0時51分に亡くなっています。
死因は癌性リンパ管症によるものでした。
「忌野清志郎」の死に様の信憑性
06年に患った喉頭癌が原発の可能性が高いのは間違いないでしょう。
この時に癌を摘出していれば寛解の期待も持てましたが、その代償に声を喪ってしまうことを医師から宣告されてしまいます。
このため腫瘍を摘出する予定を変更せざるをえませんでした。
これにより癌の転移は避けることができず、左腸骨への転移はもとより、死因の癌性リンパ管症から肺から全身にまで癌に蝕まれていたことがわかります。
まとめ
忌野清志郎は06年の夏に喉頭癌に罹患します。
当初は手術を行うはずでしたが、治療の代償に声を喪うことを宣告されたため、放射線と抗がん剤での治療で寛解を目指しました。
しかし無情にも癌は転移。
活動再開から半年で再休止を余儀なくされました。
それから約半年後の2009年5月2日に58歳で永眠しています。