「琴線に触れる」の言葉の使い方や敬語・言い換えを徹底解釈していきます。
「琴線に触れる」の意味
「琴線に触れる(きんせんにふれる」は、感銘や深い共感を感じること。
物事を見聞きして感動するさまを、ことに糸が触れられて鳴るさまに喩えた表現です。
意味は、Weblio辞典で調べた内容からの引用です。
「琴線に触れる」の敬語での使い方や表現方法
「琴線に触れる」は、良い意味で用いる表現ですが、逆の意味、即ち、「相手を怒らせてしまった」の意味と思っている方が多い表現です。
また、若い人の中には、こんな表現は知らない人も多いでしょう。
「先日の御社の社長の講演で、私は琴線に触れる思いでした」の様に、社長の話がとても良かった、共感したことを相手に伝える時に用います。
勿論、映画、音楽演奏、劇などのエンターテイメントに対しての感動で用いても問題はありません。
ビジネスの会話の中で、ちょっとした雑談話で、最近の話題などをお話する際にこの表現を用いると良いでしょう。
注意点は、A. 世の中の誤用の様に意味を間違えない事、B. 感動の意味を表現する言葉ですが、目上の方や社外の方向けの敬語表現には気を付けて、言い換える事、C. 読み方は「きんせんにふれる」なので、注意する事の3点になります。
この様な場合は、自分で、辞書で、意味や読み方を確認する習慣を付けて置くと、恥ずかしい思いをするケースは減ります。
今は、情報量の多い時代なので、正しい情報を上手く収集する工夫を見に付けて置くと、非常に役に立ちます。
いつも、情報収集のアンテナをはっておくのが良い方法です。
「琴線に触れる」の言い換えや使用例
・『先日の御社の社長の講演で、私は琴線に触れる思いでした』
・『あの映画は素晴らしく、琴線に触れるものでした』
・『先日、紹介して頂いた演奏会は非常に感動し、琴線に触れるものでした』
上の例ではビジネス上での講演の感想、映画・演奏の感想を例に挙げました。
まとめ
この記事を読んで、「琴線に触れる」の表現を初めて知った、あるいは、間違って解釈していた方も多いのではないでしょうか。
「相手を怒らせてしまった」という意味ではなく、感銘を受けたという非常に良い意味の表現なので、ぜひ、これを機会に、上手く活用して下さい。