「所謂」と「所詮」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「所謂」と「所詮」の違いとは? 言葉の違い【2語】

この記事では、「所謂」「所詮」の違いを分かりやすく説明していきます。

「所謂」とは?

「所謂」とは世間一般で言うところのという意味です。

字面からは読み方が繋がりにくいですが「いわゆる」と読みます。

他の言葉で言うと俗に言うであったり世に言うと言い換えられる言葉といえば使い方や意味が理解しやすいでしょう。

所謂何々という風に使い、あれこれと説明しなくても世の中で何々と言われているものですという意味の文章になります。

「所詮」とは?

「所詮」とは結局やどうせという意味の言葉です。

元々は仏教用語として使われていた言葉であり、その後はつまるところという意味で結論の前置きとして使われる言葉として使われていました。

良し悪し関係なく最後に落ち着くところという意味もあったのですが、ネガティブな意味合いで使われる使用方法が定着した結果、現在では結局やどうせなどのネガティブな意味合いのこもった、悪い意味での行き着く先を指す意味として使われています。

「所謂」と「所詮」の違い

「所謂」「所詮」の違いを、分かりやすく解説します。

世間一般で言うところのや世にいうという意味の言葉が「所謂」で、結局のところやどうせという意味の言葉が「所詮」です。

どちらもつまるところという意味も持ちますが、「所謂」はネガティブさを含まずフラットな意味合いで使われるのに対し、「所詮」はネガティブな意味合いを含んだ言葉になります。

「所謂」の例文

・『趣味に生きる叔父さんは所謂独身貴族だ』
・『来月は繁忙期のピークで所謂修羅場になるだろう』

「所詮」の例文

・『所詮負け試合だから適度に力を抜こう』
・『自分の実力では所詮この程度だろう』

まとめ

「所謂」は世にいう俗に言うという意味で、「所詮」は結局やどうせという意味の言葉です。

どちらもつまるところという意味で使われることがあるという点では共通していますが、「所謂」はつまるところという意味で使われることは少ない上にポジティブでもネガティブでもない言葉ですが、「所詮」はネガティブな意味合いでつまるところという意味で使われることの多い言葉というのが両者の違いです。

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