この記事では、ビジネスシーンでもしばしば使われる言葉の「察するに余りある」について、その意味や使い方や言い換え等を分かりやすく説明します。
「察するに余りある」とは?意味
「察するに余りある」の読みは「さっするにあまりある」で、「他者の状態や心情に想いを致そうとしても、それがどれほどのものか想像する範囲を超えていること」を意味する慣用句です。
「察する」には、いくつかの意味がありますが、この慣用句では「他者の状態や心情を推し測り、思いやること」の意味で使われています。
また、「余りある」は「どんなにしようとしても、し尽くすことが出来ないこと」を意味します。
従って、「察するに余りある」とは、「他者の状態や心情を推し測り、思いやるろうとしても、それをすることが出来ないほどであること」となり、分かりやすく言い換えると冒頭の「他者の状態や心情に想いを致そうとしても、それがどれほどのものか想像する範囲を超えていること」となるのです。
「察するに余りある」のビジネスでの使い方や使われ方、使うときの注意点
この「察するに余りある」の慣用句は、他者を思いやる気持ちを表す言葉です。
辛さや悲しみやに暮れる他者に対して、掛ける言葉もないほどだと、同情し、寄り添う気持ちを示す慣用句です。
ビジネスシーンにおいては、家族に不幸があった際はもとより、長年熱意を持って取り組んで来た仕事が失敗や中止に追い込まれた場合等に、使われたりします。
多くは悲哀の感情を推し測る場合に使われますが、非常に大きな喜びに対しても使われます。
例えば、ノーベル賞を受賞した人に対して、「ノーベル賞を受賞された○○教授や、それを支えて来た奥様のお喜びは、察するに余りあります」と、喜びに共感する意味で使われることもあります。
また、「察するに余りある」は、本人に対して使う場合より、第三者のことを話題にする際に使われることが多いと言えますが、もちろん本人に対して使うことも出来ます。
本人に使う場合で、その方が目上の場合には、当然「お察しするに余りあることでごいます」等と敬語表現に換える必要があります。
「察するに余りある」を使った例文
・『彼女はご両親を相次いで亡くされました。その悲しみは察するに余りあります』
・『彼が10数年間情熱を傾けて取り組んでいた研究プロジェクトが、突然中止になりました。彼の無念さは察するに余りあります』
「察するに余りある」の類語や言い換え
「察するに余りある」の類似表現として、「拝察する」や「想像を絶する」と記載されている辞書もありますが、「察するに余りある」のニュアンスは言い表せていません。
言い換えるなら、「汲み取ることが出来ない」等と説明的表現にせざるを得ないでしょう。
まとめ
「察するに余りある」とは、「他者の状態や心情に想いを致そうとしても、それがどれほどのものか想像する範囲を超えていること」を意味する慣用句です。