この記事では、「和田浩治」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「和田浩治」とは?
和田浩治は1960年代から1980年代にかけて活躍した俳優で、父はジャズピアニストである和田肇です。
1959年に日活に入り、「無言の乱斗」という映画で俳優としてデビューします。
デビュー作ながら主人公に抜擢されました。
その後も愚連隊シリーズや小僧シリーズに主演しています。
また、歌手としても活動していました。
私生活では2度の結婚歴があり、最初の妻である歌手の梓みちよとはスピード離婚しています。
「和田浩治」の晩年
和田浩治は晩年、テレビの時代劇ドラマ「大岡越前」に出演しています。
「大岡越前」では、同心の風間俊介役を演じました。
この役は和田浩治の当たり役といわれ、視聴者から愛される役柄です。
風間俊介を主人公とする「疾風同心」や「八丁堀暴れ軍団」といったスピンオフ作品も作られました。
当時は主人公以外の登場人物に焦点を当てたスピンオフ作品が作られることはなかったので、スピンオフの草分け的な作品でもあります。
「和田浩治」の死に様
和田浩治が亡くなったのは、1986年7月のことです。
再婚した妻に看取られて亡くなりました。
死因は胃がんで、享年42です。
和田浩治が最初に体に不調を感じたのは1984年の12月でしたが、その際には病院には行きませんでした。
薬を飲んでそのままにしていましたが、徐々に症状が悪化し翌年の6月に病院に行き緊急入院となりました。
出演していた「大岡越前」も降板します。
その後、回復して復帰しましたが、1986年に体調が再び悪くなり再度入院します。
入退院を繰り返し、ついに帰らぬ人となったのです。
「和田浩治」の死に様の信憑性
和田浩治の最期を看取ったのは、2番目の妻となった田村順子という女性です。
銀座のクラブのママをしていて、著名人も通うお店を営んでいます。
最初の妻である梓みちよとはスピード離婚していますが、お互いに相手を非難し合うなど泥沼の離婚劇を繰り広げています。
田村順子とは離婚してから2年後に結婚していますが、最期まで添い遂げました。
亡くなる前は昏睡状態に陥っていましたが、意識が戻った際に「元気でいてくれ」と妻に声をかけたといいます。
まとめ
和田浩治は晩年も時代劇ドラマに出演するなど俳優として活動していましたが、胃がんを患い亡くなってしまいます。
42歳という若さでした。