「右顧左眄」と「優柔不断」の違いとは?分かりやすく解釈

「右顧左眄」と「優柔不断」の違いとは? 言葉の違い【2語】

この記事では、「右顧左眄」「優柔不断」の違いを分かりやすく説明していきます。

「右顧左眄」とは?

「右顧左眄」とは右を見たり左を見たりして迷うことです。

ただし右と左どちらにしようか迷っている様子というよりは、周囲の状況ばかりが気になってしまったり周りの人の反応に気を使いすぎて決断できないというような意味になります。

顧は振り向いて見ることで眄は横目に見ることを指し、正面から相手を見据えるのではなくチラチラと周りを気にしてばかりいる日和見主義で決断力がない様子を厳しく指摘する言葉です。

「優柔不断」とは?

「優柔不断」とは意思が弱く決断できないことや性格を指す言葉です。

優という字は優れているという意味を持つ字でありポジティブな意味で使われることが多いですが、優柔という並びになることでなよなよとして軟弱な様子を指す言葉になります。

「優柔不断」という場合は本人に決断力が足りないせいでどうするかを決めあぐねてしまうことを指すので、周囲の意見を気にしているかどうかは関係ありません。

「右顧左眄」と「優柔不断」の違い

「右顧左眄」「優柔不断」の違いを、分かりやすく解説します。

周囲の様子や意見ばかりを気にしすぎる様子を指すのが「右顧左眄」で、決断力がなくぐずぐずと迷う様子が「優柔不断」です。

「右顧左眄」は周囲を気にしすぎるという外的要因で決断できず、「優柔不断」はただ決断力が足りないという内的要因で決断できないという違いになります。

「右顧左眄」はただ決断力がないだけでなく日和見主義的な意味も含む分「優柔不断」よりもネガティブな扱いを受ける言葉です。

まとめ

決断力が足りないことを指す言葉としては「優柔不断」が一般的で、更に周りばかりを気にするという一段とネガティブな言葉が「右顧左眄」になります。

「右顧左眄」は日和見主義と「優柔不断」が合わさった言葉とも言えますが、そういった欠点を指摘する場合にはそれぞれの欠点を一つひとつ指摘していくことがほとんどなので「右顧左眄」が使われる機会は多くありません。

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