この記事では、「厭世的」と「悲観的」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「厭世的」とは?
人生に希望を見出せず、やる気を失っている様を「厭世的」【えんせいてき】といいます。
もうこの先に良いことなどないだろうと考えてしまっては頑張ろうという気力を見出せず、投げやりな態度を見せる人を指す言葉です。
このような人は前向きに生きようと努力せず、いつでも命が終わってもいいと思っては家族を作らず、お金も貯めない人が多く見られます。
「悲観的」とは?
自分の人生はきっと良い事などあるわけがないと考えては、悲しい気持ちに包まれる人を「悲観的」【ひかんてき】といいます。
どうせ楽しいこともなく、幸せになれないと最初から決め付けてしまうのです。
このような人は努力して人と遊ぼうと思わないは、良いように物事を捉えてみようとの努力がなく、消極的な行動を見せます。
「厭世的」と「主観的」の違い
「厭世的」と「主観的」の違いを、分かりやすく解説します。
生きるために頑張ろうとの気力がなく、後退的な考え方することを「厭世的」といいます。
どうせ自分は長生きなどしないので、努力する必要もないと考えては与えられた仕事だけをただやる、出会ったからなんとなく付き合おうと上辺だけの行為を見せるのです。
もう一方の「悲観的」は自分が幸せにはならないと先に考えてしまうので、楽しめません。
悲惨な結果を想像してしまう癖があるため、意欲を持って取り掛かれないのです。
「厭世的」の例文
・『子供の頃から厭世的な兄は大人になってもやる気が見られない』
・『厭世的な彼女はデート中も率先して楽しもうとしない』
「悲観的」の例文
・『悲観的な彼は一緒になっても幸せになれないと結婚を避ける』
・『お金が無くなるだけで遊んでも楽しくないと思う妹は悲観的だ』
まとめ
どこか似ている言葉ではありますが、人生自体を楽しめない人は「悲観的」なことばかり考えてしまいます。
どうしたら人生を楽しめるか2つの言葉の意味を知り、前向きに捉えてみましょう。