「かまやつひろし」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「かまやつひろし」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈 歴史上の人物

スパイダースのミュージックブレイン「かまやつひろし」の死に際とは?

この記事ではかまやつひろしの晩年と死に際について解説していきます。

「かまやつひろし」とは?簡単に説明

60年代グループ・サウンズブームの中心『ザ・スパイダース』で活躍。

多くの曲を作曲しました。

70年に脱退、ソロに転向しています。

不仲によるものではなく後年「井上順」「堺正章」両氏、芸能界の表舞台に残ったメンバーとは何度となく共演し、新バンドを結成しています。

ソロ活動では関心があった「吉田拓郎」氏に接近。

懇意の関係となり、晩年までその関係は続いています。

かまやつ氏の音楽性・その音楽観はかまやつワールドとして多くの後進ミュージシャンに影響を与えました。

「かまやつひろし」の晩年

若い後進のミュージシャンと交流を重ね、精力的な活動を行っています。

その一方で2013年には「堺正章withムッシュかまやつ・井上順」でグループを結成すると往年のファンに向けたライブを行っていました。

しかしプライベートでは1つの転機を迎えています。

それは最愛の夫人が大病を患った事。

多忙ながらかまやつ氏は夫人の看護を甲斐甲斐しく行っていたそうです。

しかし自身にも病魔が忍び寄ろうとしていた事を知る由もありませんでした。

「かまやつひろし」の死に様

2017年3月1日18時5分に東京都内の入院先で永眠。

78歳没。

死因は膵臓癌によるものでした。

「かまやつひろし」の死に様の信憑性

闘病の始まりは2015年9月に発覚した膵臓癌によるものでした。

手術で部位摘出するも膵臓癌は予後の悪い癌として知られ、再発が懸念されたのは言うまでもありません。

16年5月に肝臓に転移していた事が発覚。

体力を考慮に入れて化学治療を選択しています。

8月に脱水症状で倒れて入院。

9月には改めて肝臓癌に罹患している事実と自身の置かれた状況を公表しています。

既に余命宣告も受けていましたが癌に打ち勝つ事を宣言しました。

10月に退院後はいとことして知られる「森山良子」氏宅で療養。

療養の甲斐もあって、12月8日には堺氏の古希記念ライブで姿を見る事ができました。

芸能界の重鎮の記念公演のため、多くのマスコミが取材で来訪するなか元気な姿を見せています。

この時の堺氏とデュエットする映像は多くの媒体で見る事ができるでしょう。

堺氏から弄られるほど痩せており、トレードマークの長髪は明らかにヴィッグでした。

しかしスパイダース時代に自身が作曲した『サマー・ガール』を熱唱する健在ぶりを見せています。

しかし年が明けて、2月に入ると体調が著しく悪化すると意識混濁。

生死の狭間を何度となく行き来したそうです。

同月23日には夫人が逝去するもその事実は伝わらない程に衰弱。

最愛の妻に連れ添う様にして1日に永眠する事になりました。

まとめ

2017年3月1日18時5分、都内の入院先で逝去。

78歳没。

死因は膵臓癌と発表されています。

15年9月に膵臓癌が発覚して手術を受けました。

16年5月には肝臓にも腫瘍ができている事が確認されています。

膵臓癌の大手術から1年も経過していなかったため、年齢と体力を考慮に入れて化学治療を選択。

しかし既に余命宣告を受けおり良化は見込めませんでした。

最後のステージは港区青山で盟友堺正章氏の古希ライブに飛び入り出演したものになっています。

その後1月3日には堺氏の自宅に訪れており、まだこの時点では体力と気力もあったようです。

しかし2月に入るといつ亡くなってもおかしくない状態に陥り、最愛の夫人の後を追う形で永眠する事になりました。

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